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オヤッと思ってさすがに私も気がっきました。それは井深さんがいろんな話をなさる。「患者が最後は気管支をおかされ、もだえ苦しんで窒息死する。しかし、その死に方は実にみごとでした」とか、自分のお世話になった先生がどんなに立派な方かと話されるのですが、ご自分の喜怒哀楽を一切言わない。ああ、これか、と思いました。私はあわててハンセン病の人々と70年一緒に生活されて、一番嬉しかったことは何ですかなどという質問に切り替えて、最後の15分ほど井深さんが淡々とご自分の感情を語って下さってホッとしました。この番組が放映されたのが13年前の12月25日、クリスマスの日曜日の朝で、私としては親孝行したような、心を満たされる経験でした。
井深八重という女性はご自分を語らないのです。ナイチンゲール賞をもらい、朝日賞をもらい、勲章をもらい、大学から名誉博士号をもらったなどということをひと言も人に言ったことがないのです。自慢話は一切されませんでした。人の徳をたたえたのです。カトリックの方ですが、人の徳をたたえながら、神の恵みをほめたたえる。そういう女性でした。それを無理してなさったのではないのです。いつお会いしてもニコニコ笑っておられました。患者であろうと、私のような外の者であろうと温かく包み込んで下さった。しかも上品な言葉を語られた女性でした。気品がありました。
最後に亡くなるときに、同僚の看護婦さん、後輩の人たちに「皆さん、お世話になりました。私はこれからいいところに行くんだから喜んでちょうだい」。これが遺言でした。天国に凱旋をする喜びを語ったのでしょう。微笑みを浮かべながら働き、微笑みを浮かべながら召されたのです。これを日本語で言うと禁欲といいます。禁欲というのは欲を禁ずる。好きなたばこをがまんして断つときに使うネガティブな言葉ですが、“askesis”という言葉は、積極的な意味を持っております。自分の目標を実現する

 

 

 

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